琉球ガラスが有名になったのは戦後に米軍が持ち込んだ廃ビンを再利用されてたのが始まりです。廃ビンを利用すると様々な不純物がまじり、気泡や厚みがでてしまい通常では不良品として扱われますが、琉球ガラスはそれを持ち味としました。
琉球ガラスの特徴といえる鮮やかな色は、コカコーラビンからの青、セブンアップからの緑、ビール瓶の茶色などから作られました。現在は原料ガラス使用が主流ですが、今でも廃ビンを利用し作っている工房もあります。琉球ガラスの多彩な色の中でも赤色は特に発色させるのが難しく、鮮やかで綺麗な赤色を出すため、白金を混ぜているため赤色の琉球ガラスは他の色より少し値段が高くなっています。
琉球ガラスは1つ1つがすべて手吹きで作られており、1つとしてまったく同じものがありません。沖縄県の伝統工芸の1つとして工業製品とは違った温かみや素朴さが多くの方から愛されています。
沖縄特産品

紅芋は沖縄の食品に伝統的に使われるサツマイモです。加工食品やお菓子、アイスクリームや紅芋粉など、様々な食品に利用されています。
沖縄本島の北部に位置する読谷村が紅芋の産地として有名です。そこで栽培する紅芋は鮮やかな紫紅色で読谷紅芋として特産品化されています。
OKINAWA SHOPでは紅芋を使用した沢山の商品をご紹介しています、紅芋モンブラン、紅芋タルト、沖縄紅芋パイ、田舎まんじゅう紅芋、フルーツパイ紅芋などがあります。
沖縄特産品

沖縄としての和名は、779年に書かれた伝記で初めて登場します。 中国名は琉球でした。沖縄県における農耕の痕跡は紀元前8世紀頃からですが、本格的な農耕社会が始まったのは12世紀頃だとされています。12世紀ごろから琉球でも稲作・畑作を中心とした農耕社会が始まり、文明の度合いが色濃くなり、日本、台湾との貿易も盛んになされるようになりました。
15世紀から16世紀前半にかけて琉球王国で活発な貿易が始まり、明王朝と朝貢貿易を行ったほか、日本本土の諸港にも貿易船を送っていました。
琉球の衰退が始まった頃、琉球を通じて明と貿易を望んだ薩摩を統治する島津氏は琉球王国への要求を強める様になり1603年に江戸幕府が開かれ日本が新時代に入り1609年幕府は武力で要求を承諾させることを決断し、薩摩藩主島津忠恒に対して琉球への侵攻を許可しました。
1871年に全国で廃藩置県を実施した日本の明治政府は、1872年琉球王国を強制廃
して琉球藩の設置を決めました。しかし清はこの日本の政策に反発し、琉球は古来中華帝国に服属していたものとして、琉球の領有権を主張しましたが1879年、明治政府は軍隊と警官を派遣して琉球藩の廃止を宣言し、鹿児島県に取入れましました。同年中に沖縄県を設置し、琉球王国は中央集権的近代日本国家に組み入れられて消滅しました。
第二次世界大戦中の太平洋戦争では、激しい空襲によって那覇市が壊滅しました。1945年、慶良間諸島にアメリカ海軍艦隊が集結し、すさまじい砲撃と空襲を実行しました。沖縄県民も沖縄防衛隊を配置し、多くの一般人も戦闘に参加し、日本軍と共に亡くなりました。戦争終結後、沖縄県はアメリカ軍政下に置かれました。1972年、日本に復帰するまでの27年間米軍は住民の土地を強制的に接収ました。現在でもそれらの土地は返還されることなく、沖縄本島には在日米軍の基地が多くあります。
沖縄について

日本の南西部、かつ最西端に位置するのが沖縄県です。100以上の琉球諸島を含み、1000kmに渡り中国の直前まで続いています。
沖縄本島は九州と台湾の間に位置し、県庁所在地は那覇市で、沖縄本島の南にに位置しています。
その他の本島の街には宜野湾市、糸満市、名護市、沖縄市、浦添市などがあります。
沖縄本島周辺には以下の島々があります。
本島諸島
-伊江島
-久米島
-沖縄本島
-慶良間諸島
宮古島諸島
-宮古島
-伊良部島
八重山諸島
-西表島
-石垣島
-与那国島
沖縄には14のアメリカ軍基地が存在し、普天間飛行場や嘉手納飛行場などを含んでいます。
沖縄について